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ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―「本当の普通」の世界へ旅立つ物語。

映画 PR

2024.3.18

今回『ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―』の映画を見て私が感じたこと、、、🤔

まず、映画を見る前は私自身“ADHD”についてあまり認識がなく、今回の『ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―』をきっかけに“ADHD”について学ぶことができました!

主人公は“ADHD”に悩む2人の女子高生
明るく元気なギャル朱里真面目な女の子絃真逆のタイプの2人が出会う物語で主演の鈴木心緒さんと西川茉莉さんがとても可愛いく演技、セリフがとてもリアルで気づけば物語の中に引き込まれていました🥺🫶

特に、“ADHD”に悩む2人の苦悩や葛藤がとてもリアルに描かれていて、苦しみながらもお互い成長していこうとするラストシーンは私自身、心に響くものがありました✨

映画を見終わった後、

“今まで自分の中にあった「普通」「常識」って?”

と純粋に見直すきっかけになる映画だと思います😌✨

Introduction

「普通」に見られない女の子たちが
「本当の普通」の世界へ旅立つ物語。

ADHDに悩むギャルと真面目な女子高生

見た目と行動が派手なギャル女子高生。
そして進学校に通う成績の良いまじめな女子高生。
そんな正反対の2人には共通する問題点があった。
それは、「ADHD」であることだった。

ADHD(注意欠如・多動症)とは、発達障害のひとつで、不注意や落ち着きのなさ、衝動的な行動などが、生活に影響をおよぼしている状態のこと。
周りの人からは、「ちょっと変わった人」とか「空気の読めない人」と決めつけられてしまうこともある。
若者を中心に世界中でADHDである人が増えていると言われている。

映画『ノルマル17歳。』は、そんなADHDの2人の女子高生たちの物語。
「普通のものさし」で見ると、彼女たちは問題児。
そんな「普通のものさし」で生きづらさを感じている彼女たちが、「普通」から脱出し、「本当の普通とは何か」へと目ざめていく。

映画『ノルマル17歳。』は、ADHDとは何かを描いた作品ではなく、「ADHD」と見なされた人やそれを取り囲む人たちが、その「言葉」や「記号」の枠組みの中にとらわれ、その無理解の中で苦悩していく姿を描いて行く。
私たちの多くが「普通」「常識」的に生きていると思いがちな中で、「自分が思っている普通の世界が本当に普通なのか」を見なおす、心の旅立ちの物語だ。
タイトルの「ノルマル(ノーマル)=普通」にその思いが込められている。

引用:ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―公式サイト

監督の北さんと脚本を書いた神田さんにインタビューさせていただきました

【脚本の神田さん】
私の身近な人がADHDで、その人の近くにいてる人間として、
生活をしていたわけなんですけど、それがちょうど17歳のときだったんですよね。

このノルマル17歳の脚本を書き始めたり、思いついた時は、別にあんまり意識はしてなかったんですけど、
そういえば、自分も17歳だったな当時と思って。
だから、そこに、すごく重きを置いてるってっていう感覚はありますね。
そこから、物語ができていたっていう感じです。

【脚本の神田さん】
そうですね。
それが一番大きくて、その子の、
両親世代、周りの大人たちの世代っていうのが、
あんまり、発達障害っていうものに、受け入れ体制がないというか。

「え?障害?」みたいな。
「発達障害って何ですか?」みたいな感じで。

私も当時知らなくて、ちょっと、やんちゃで浮いている子で、
変な時に嘘がつけない世渡りベタな子って思ってたんですけど、
そうじゃなくって、本人は本当に生きづらい状態っていうのを、そこで初めて知って。
発達障害とは?ってなった時に、個人的にものすごく知りたくなって。

っていうのと、その子に対しての接し方が、私は分からなかったんで、色々勉強をして、周りの大人達を説得しに回るじゃないですけど、当時「こうやったらいいみたいよ」とか、「こういう障害らしいよ」みたいな感じで、こう掛け合ってっていうのはしてました。
だから、結構それが元になってるのは大きいです。

【脚本の神田さん】
そうですね。
最近の方が、ちょっと何か落ち着いたというか、その子も20歳ぐらいになっているんですけど、
当時、小学校、中学校、高校とかってなると、学校ってやっぱり、ちょっと狭いなって思っていて、
学校内の先生と、自分の親族だけが、自分の大人という世界になってしまっているので、
その人たちの理解がないと、
「やっぱり世の中の大人は全て理解がない」こういうものなんだって、
思ってしまうのがあると思うんです。

今はその子は学校も卒業して、
働いてみると、「あ、こういう大人もいてるんだ」って。
いい意味での、障害を受け入れてくれる大人がいて。
「障害?ああ、そうなんだ」みたいなとか。
「じゃあ何したらいいの?」って聞いてくれたりとか、
「そういうのが苦手なんだね」って、受け入れてくれる人だったりとか、
そういう人たちに出会って、初めて外の世界を見たじゃないですけど、
開放されている感じは、ありますね。

今はだいぶ落ち着いてるというか。
環境にすごい左右されるんだな。ていうのは、すごく感じてます。

ノルマル17歳

【脚本の神田さん】
そうですね。
あと、調べた内容で作り上げて、
朱里っていうギャル子みたいに、ちょっと衝動性のあるタイプの子だったりとか、
逆に自分の内に秘めて、何でも思い悩んでしまうタイプの子だったり、
そういうタイプの子達も、いてるのが発達障害なので、
かなり個人差もあるんですけど、そういうキャラクターとして、
朱里は作りました。

ノルマル17歳

【脚本の神田さん】
そもそも、
幸せになってほしいって思ってたんですよね。
2人を出会わせて幸せにさせたかったんですよね。

初めて自分に近しいというか、自分と同じ苦悩を抱える人と出会って。
それが相手が別に発達障害があろうがなかろうが、本当はどっちでもいいんですけど、
どっちでも良くないと駄目なんですけど、
そんな2人に出会ってもらって、色んな体験をする瞬間を、
映画にしたいなと思ったんで、2人にしました。

ノルマル17歳

【脚本の神田さん】
映画作ったの私1人じゃないので、個人的にはっていう話になってしまうんですけど、
全てを分かって欲しいっていうわけでもなくて、発達障害とはどういうものかっていう話でもないですし、映画っていうエンタメの枠に入ってると思うので、まずは純粋に物語を楽しんでもらえたらなというのが一番なんですけど、

発達障害に対しては、多分映画1本見て理解できるだったりとか、
自分が受け入れられる器になるかどうかとかは、多分無理に近いと思うんですよね。

映画1本でいける。
大丈夫、オッケーみたいな感じになるんだったら、
多分ここまで、皆さん、こじれてないし、困ってないしっていうのが、
私の気持ちとしてはあります。
ものすごい覚悟で、観に来ても多分しんどくなっちゃうと思うんですよね。

まずはきっかけとして、何かこんな感じだったけど、
こういうところは、どうなのかなとか、
見た後に自分で調べてみたりっていうきっかけに、なったらありがたいなっていう感じです。

ノルマル17歳

【監督の北さん】
そうですね。
発達障害ADHDとは、何かっていうものではなくて、
このストーリーをきっかけにして、何か、話し合うきっかけとか、自分が知るきっかけとかっていうのもそうなんですけど、
もっとタイトルのノルマルにしたっていうのは、
いわゆる発達障害とか、そういう障害を持っている人たちに対してだけじゃないんです。
本当に普通の人に対しても、何かしら自分の中の普通の枠組みから、その人を見てしまう傾向があって。
すごく最近になって、より強くなってきているなと思うんですね。

コンプライアンスとか会社はこうなければいけないとか、
政治家や芸能人はこういう風にして生きなくちゃいけないとか。

昔よりも、よりルールとか普通とか、
そういうものを狭めて、その人を当てはめて見ちゃう。
そういう事が、やっぱり大きくなってきているなと思うんですよね。

発達障害の人は昔からいたんですけど、最近になって、その現象がやっぱり出てきたっていうのは、
重度の方は、またちょっと違うんですけど、
健常と、ちょっと重い人の間のグレーゾーンの人達もたくさんいて、
ちょっと前までは、それを一つの個性として受け入れてたものが、
個性として受け入れられなくなってきた。

この人はおかしいんじゃないかっていう枠組みで、
とらわれてしまう現象が起こってしまっていることに対して、
もっと寛容に、普通って自分の持ってる、
普通っていう枠組みを、もうちょっと解放してあげることによって、
色々な人をもっと受け入れる余地が出てくるんじゃないかなっていう風に思います。

予告編のレビューにも「映画を見たかった」とか、
結構、当事者の方もそうなんですけれども、
いろいろな方が、自分の人生に、投影して予告編とかを見てくださる方が多くて。

多分、多くの人が、そういう障害を持っていなくても、
同じような経験をしてる感じを、この映画の予告編から受けているのかなと思うんですよね。
それはやっぱり自分のこと、ちゃんと分かってほしいとか、本当はそうじゃないのになっていうのを、
うまく伝えられなかったとか、わかってもらえなかったっていうのが、
たまたま今回の映画の中で、表現できているのかなって感じですね。

ノルマル17歳

【脚本の神田さん】
私は一番最後ですかね。
朱里と絃が親御さんと揉めちゃって公園に行って、絃が迎えに来る。
あのシーンは結構台詞を選びましたね。
何て言ってくれるかなって思って、ずっと。悩んでましたね。

【脚本の神田さん】
ありますね。集中して脚本を書いて、
あっすごいノッてきたなぁって思ったら、大体、自分が喋ってるみたいな感じになりますね。
私自身が喋ってるみたいなっちゃうんで。
あ、違う違うってなるんですよね。
キャラクターに喋ってほしいんで。
そこは、もう何回も戻って、脚本の中で行ったり来たりしながら書きました。

【脚本の神田さん】
ありがとうございます。

【監督の北さん】
なかなか、撮影までまとまるのに、ちょっと時間がかかって、
実際撮影が決まった後も、撮影時間がほとんどなかったり、
時間とか予算の面もあって、なるべく近場でやらないと駄目だなっていうのはありました。
でもその中でロケハンをしている中で。

もともと今回、青春映画を若い人の企画や脚本など、そういう中で撮ろうっていうのが、最初にあって、
スタジオジブリの映画の「耳をすませば」っていう映画が、東京の聖蹟桜ヶ丘っていう多摩地域なんですけど、
その「耳をすませば」が舞台になったところって、
すごく、東京の中心地ではなくて、郊外の、ちょっと開放的であり、
中学生が世の中に出ていくっていうのを、描くにはすごくいい環境というか背景だったんですよね。

ずっと「耳をすませば」っぽいところで映画を撮りたいっていうのが、はじめにあって、
今回も最初の方から、そういうところで撮ろうかなと思ってました。
近場だったっていうのもあるんですけどね。

それで、いろいろロケハンをしてて、
ケヤキの木が1本だけ生えてる公園があって、
そのケヤキの木を、朱里と絃が、成長していくっていう意味でも、すごく象徴的なアイコンにしようと思って、
出会うシーンと最後の公園のシーンというのは、
ケヤキの木が1本だけ生えてる公園にしたのは良かったかなと思いますね。

ノルマル17歳

【脚本の神田さん】
ストーリー的には、
私、この作品が長編初めての脚本で。
本当に、監督に自由に書かせていただいたなっていうのが、一番大きくて、
どうしたらいいのみたいな課題という、課題があまり浮かばないんですね。
細々した、物語の起承転結だったりとか、
ここ、もうちょっと盛り上げてほしいみたいなところとかは、
やっぱりアドバイスいただきながら、脚本書かせていただきました。
最初から最後まで書きたいことを、一旦箇条書きでもいいんで、
送ってくださいって言ってくださって、
それで一旦箇条書きで書いて、
あっ、じゃあ脚本書いてくださいみたいな感じで、
返してくださったので、
そんな大きい壁は個人的にはなかったかなと思うんですけど、
監督側はどう思ってらしたかは分からないです。

【監督の北さん】
最初に企画の応募をしたんですけど、
その時に、どういう映画を作りたいかみたいなのを、みんないろんな人に送ってもらって、
それで神田さんの、発達障害を持った、2人の女の子が公園で出会うみたいな。
これだけだったんですけど、大体もうそこで絵が見えたんですよ。
それで、ちゃんと映画もできるなと思って。
後は、脚本、長編というのも初めてということだったんですけども。
描きたいものがある程度、他の人よりも、すごくイメージとしてしっかりと持たれていて、
技術的には、多分いろいろあるなと思ったんですけど、描きたいものを出してもらって、
それで後から映画として方向性を、もうちょっとこうした方がいいとか、
尺をもうちょっと伸ばすとか説明的なところをもっとカットするとか、
そういう技術的なところはアドバイスはして。

でも全体的には基本的に神田さんが、
こういうストーリーを作りたいというのを。
それで、最初のイメージの映画ができるんじゃないかなって。

映画としては、すごくシンプルなストーリーであるんですけれども。
でも、そこに色々、自分の体験とか、そういうものが入ることによって、
個性っていうものが生まれるんじゃないかなと思ったんですよね。

たぶん映画の種類にもよるんですけど、
いろいろ構成をちょっと組んでっていう映画もあるんですけど。
でも今回に関しては、青春映画ってことがあって、やっぱりストレートでいいかなっと思いました。

そんなに、脚本をこねくり回すようなことは、
基本的にしない方がいいかなと思ったんです。
ストレートのままで。

【脚本の神田さん】
今回の映画につなげた感じの目標でいったら、
今度は愛里っていう、お姉ちゃんいてたじゃないですか。
朱里とケンカになったお姉ちゃんがいてたと思うんですけど。
あの子の事を思ってます。

ノルマル17歳

「きょうだい児」っていうキーワード知ってますか?
ものすごく重度の知的障害だったりとか、
身体障害を持っている兄弟がいてる、
お姉ちゃんお兄ちゃんが、妹弟っていう。
その、本人じゃないけど、ものすごく生活に支障が出たりとか。

よくいう、普通の家庭では、なくなってしまうわけで、
普通というのは、サザエさんとか、ちびまる子ちゃんみたいな家庭のことを指してるんですけど。

ああいう家庭ではない。
なおかつ自分自身が何かあるわけじゃないっていう、
兄弟の話とかできたらいいなとは思ってます。

【監督の北さん】
今回は久しぶりに青春映画を撮ったんですよ。
10数年、ちょっとぶりぐらいですかね。

もともと青春映画を撮りたいってのがあるんですけど、
もう全然違うんですけど、
僕、アクション映画とか好きで、あと時代劇とかが好きで、
どちらかというと、日本より海外に出て行きたいっていうのもあって。

何本か企画が進んでいて、日本のお話なんですけど、どれも英語を使うんです。
日本語と英語の両方で、吹き替えではなくて、
役者が日本語で芝居するのと、英語で芝居をするのを、
今、手がけていて、それは原作があって意図的ではないんですが、
それもギャルが出てきたりもします。
ちょっとアクションというか、そういうエンタメ作品を今進めてたりしますね。

映画『ノルマル17歳。』は、まさに現代社会における「普通」という概念に対する深い疑問を投げかける作品でした。

この映画は、単なる発達障害を持つ人々の物語ではなく、
社会全体に対する問いかけを投げかける作品であると感じました🤔
私たちが受け入れている「普通」が果たして本当に普通なのか、
という問いに向き合わせてくれる素晴らしい作品でした😌✨

『ノルマル17歳。―わたしたちはADHD―』おすすめの作品なので気になる方はチェックしてみてね✨

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